滋賀県の県庁所在地は大津市!なぜ滋賀市ではないのか歴史の謎に迫る
日本最大の湖・琵琶湖を抱える滋賀県。その行政の中心地である県庁所在地は「大津市」ですが、小学校の社会科やクイズなどで「なぜ滋賀市ではないのか?」「なぜ県名と県庁所在地の名前が一致しないのか?」と疑問に感じた経験を持つ人は少なくありません。
実は、大津が県庁所在地となった背景には、明治維新期の「廃藩置県」を巡る激動の行政再編や、かつての「滋賀郡大津町」という地名、さらには彦根市を中心とする旧犬上県との合併劇など、知られざる歴史ドラマが隠されています。本稿では、大津市が県庁所在地であり続ける理由から、ライバル都市とされる草津市との人口動態比較、レトロ建築として名高い県庁舎の魅力まで、現地取材を踏まえて徹底解説します。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:滋賀県の県庁所在地は「大津市」であり、明治初期に県庁が置かれた「滋賀郡大津町」の郡名がそのまま県名に採用されたことが名前の不一致の真相。
- 要点2:廃藩置県時には大津県と犬上県(彦根中心)に分かれていたが、合併後に県庁を京都に近い大津へ集約。かつては彦根への県庁移転論争も起きた。
- 要点3:近年は交通利便性の高い草津市が急速に人口を伸ばしているものの、歴史的・行政的拠点としての大津市の重要性は揺るぎない。
【結論】滋賀県の県庁所在地は「大津市」|琵琶湖と県庁所在地の地理的特徴
滋賀県の県庁所在地は大津市(おおつし)です。滋賀県の南西端に位置し、琵琶湖の最南端の湖岸から京都府へと連なる山並みに挟まれた細長い地形を特徴としています。
大津市は古くから琵琶湖水運の拠点港(大津百舟)として栄え、東海道五十三次の最後の宿場町「大津宿」としても機能してきました。西隣は京都府京都市山科区と直結しており、JR東海道本線(琵琶湖線)の新快速を使えば、大津駅から京都駅まではわずか約9分、大阪駅までも約40分という圧倒的な近畿圏へのアクセス利便性を誇ります。
県域全体で見ると南西に偏った立地ですが、この「京都・大阪との近さ」と「琵琶湖の水運・陸上交通の結節点」という立地特性こそが、大津が古くから政治・経済の要衝であり続けた最大の理由です。
なぜ「滋賀市」ではないのか?県名と県庁所在地が異なる理由
日本全国を見渡すと、青森県青森市や秋田県秋田市のように「県名=県庁所在地」の県がある一方で、滋賀県大津市や愛知県名古屋市のように両者が一致しない自治体が存在します。「なぜ滋賀市ではないのか」という疑問の真相は、明治時代の行政区分ルールにあります。
明治4(1871)年の廃藩置県当時、大津は「近江国滋賀郡大津町」という住所表記でした。当時、明治政府は新設する府県の名称として「県庁が置かれた場所の『郡名』または『都市名』」を採用する方針をとっていました。
当時の大津県(後述)が県庁を置いた場所が「滋賀郡」であったため、県名に郡名である「滋賀」が選ばれました。つまり、「滋賀市が大津市に変わった」のではなく、「滋賀郡の中にあった大津町が県庁所在地になり、郡名が県名になった」というのが歴史的事実です。全国に同様の例は多く、神奈川県(久良岐郡横浜町ではなく橘樹郡神奈川町周辺の旧郡名・宿場名)や兵庫県(武庫郡ではなく八部郡兵庫湊)などと同じ構造です。
廃藩置県と大津県・犬上県合併の歴史|彦根市との関係と県庁移転問題の真相
滋賀県が現在の形に落ち着くまでには、激しい地域統合と県庁誘致の歴史がありました。
1871年の廃藩置県直後、現在の滋賀県エリアは南部を中心とする「大津県」と、北部・東部を中心とする「犬上県(県庁は旧彦根城内)」の2つに大きく分かれていました。翌1872年、大津県が「滋賀県」に改称された後、同年9月に犬上県が滋賀県に編入合併され、琵琶湖全体を囲む現在の滋賀県の輪郭が完成します。
この合併の際、大きな火種となったのが彦根市と大津市の関係、すなわち「県庁をどこに置くか」という県庁移転問題です。旧彦根藩領を中心とする県北部の人々は「滋賀県の地理的中央に位置する彦根や近江八幡に県庁を置くべきだ」と強く主張しました。県南部の大津に県庁があると、湖北・湖東地域の住民にとって手続きや陳情のための移動負担が極めて重かったためです。
明治中期にかけて県議会などで激しい県庁移転論争が巻き起こりましたが、最終的には京都・大阪との連結性や、鉄道の開通などインフラ整備のスピード感から、大津から県庁が移転されることはありませんでした。この南北の歴史的経緯は、現在の滋賀県における地域バランス感覚や行政運営の基礎となっています。
大津市と草津市の人口比較|経済の中心と行政の拠点の住み分け
近年、滋賀県内の都市構造において注目を集めているのが、県庁所在地である大津市と、隣接する草津市の勢力図です。
2026年時点の人口データを見ると、大津市は約34万人を抱える県内最大の「中核市」として首位を維持しています。一方の草津市は約14万5千人規模ですが、近年の人口増加率や若年層・ファミリー層の流入率では草津市が大津市を上回るペースで成長を続けてきました。
草津市はJR琵琶湖線と草津線が分岐する交通の要衝であり、駅周辺の大規模商業施設や大学キャンパスの集積が進んだことで、「滋賀県で最も経済的活力がある街」と評されることも少なくありません。対する大津市は、県庁や地方裁判所などの行政機関が集積する政治の中心地であり、比叡山延暦寺や三井寺(園城寺)を擁する歴史観光都市としての確固たる地位を保っています。「行政・歴史の大津」と「商業・交通の草津」という明確な役割分担が、現代の滋賀県南部を牽引しています。
登録有形文化財!滋賀県庁舎本館の歴史とアクセス・場所
大津市京町四丁目に位置する滋賀県庁舎本館は、建築ファンや歴史愛好家からも高く評価される名建築です。
現在の本館は昭和14(1939)年に竣工した鉄筋コンクリート造4階建て(一部5階建て)の建物で、国の登録有形文化財に指定されています。設計を手掛けたのは、早稲田大学大隈講堂や群馬県庁舎などを手掛けた建築家・佐藤功一と日比忠彦です。外壁には重厚なスクラッチタイルが貼られ、近世ゴシック調の重厚な佇まいを今に伝えています。
【滋賀県庁へのアクセス・所在地】
- 所在地:滋賀県大津市京町四丁目1番1号
- 電車でのアクセス:JR琵琶湖線「大津駅」北口より徒歩約5分/京阪電車石山坂本線「島ノ関駅」より徒歩約7分
- 車でのアクセス:名神高速道路「大津IC」より車で約10分
JR大津駅からなだらかな坂を下る官庁街エリアに位置しており、駅からのアクセスは非常に良好です。
暗記が苦手でも一発で覚えられる!滋賀県の県庁所在地「大津市」の覚え方
中学受験や高校受験の地理で頻出の「県名と県庁所在地名が異なる都道府県」。滋賀県大津市を確実にインプットするための代表的な覚え方・語呂合わせを紹介します。
① 琵琶湖のイメージで覚える語呂合わせ
「滋賀の琵琶湖は大きなつう(湖=うみ)だ」(滋賀=大津)
日本最大の湖がある滋賀県=「大きな(大)津(港)」とビジュアルで結びつけると記憶に残りやすくなります。
② 歴史的事実をストーリーで覚える
「大津」という言葉自体が「大きな津(港・船着き場)」を意味します。古代から琵琶湖の水運を一手に引き受けた巨大な港町だったからこそ、県名が滋賀になっても町の中心である大津の名が残った、という歴史的背景を理解することが最も忘れにくい暗記法です。
【滋賀県の県庁所在地】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:滋賀県にかつて「滋賀市」が存在したことはありますか?
A1:いいえ、過去にも現在にも「滋賀市」という市が存在した歴史はありません。明治期に存在したのは「滋賀郡」であり、その郡域に大津町や近隣の村が含まれていました。
Q2:滋賀県の県庁所在地が大津市から別の市に移転する可能性はありますか?
A2:移転の可能性は極めて低いと見られています。歴史的に彦根などへの移転議論はありましたが、京都や大阪に近い大津の経済的・地理的優位性は高く、現在の庁舎の大規模改修や防災機能強化も大津の地で完了しているためです。
Q3:滋賀県庁舎は見学できますか?
A3:平日の開庁時間内であれば、本館の外観や共用スペースのレトロな建築意匠を自由に見学することができます。重厚なエントランスホールや階段回りの装飾などは昭和初期の名建築としての魅力にあふれています。
まとめ:琵琶湖と共に歩んできた大津市と滋賀県の未来像
滋賀県の県庁所在地が「大津市」である理由を紐解くと、古代からの琵琶湖水運の歴史、明治維新時の廃藩置県と郡名採用のルール、そして旧犬上県との合併に伴うダイナミックな地域統合のドラマが見えてきます。
草津市をはじめとする周辺都市の発展により県内のバランスが変化する中でも、京都に隣接し歴史と文化を凝縮した大津市は、今も滋賀県の誇るべき顔であり続けています。滋賀県を訪れる際は、雄大な琵琶湖の景色とともに、大津の歴史的な街並みや県庁舎のレトロな建築美にもぜひ目を向けてみてください。 (出典: 滋賀 県 の 県庁 所在地(Yahoo!ニュース))